この動画について
メインゲストには「千歳のトランプ」こと有限会社なごみ地所 代表取締役 竹原 正年 氏にご登壇いただきました。
50歳でファッション業界から不動産業界へ転身されたという異色のご経歴の竹原さんは、リーマンショックがきっかけで独立、今ではJ-REC北海道支部の講師となりました。
賃貸オーナーとして63戸を所有するほか、建築中の新築物件も2棟ある現在の成功までのご経験から確立された『竹原流不動産経営術』の中でも「金融機関との付き合い方」や「収益物件の運営方法」「不動産投資を成功するには」といった具体的な経営ノウハウを語っていただきました。
第72回北海道大家塾は、イベント開催制限を遵守し、札幌駅最寄りの北農健保会館に会場を設け、コロナ感染拡大防止対策を行なった会場セミナーには46名、You Tube ライブ(限定公開)の同時配信によるWEBセミナーには76名の計122名が参加の中で開催されました。
『お役立ちセミナー』では大西正啓司法書士事務所 大西 正啓 氏を講師としてお招きし、『いざという時に役立つ法律知識』をテーマに、「不動産登記」や「法人化にともなう登記業務」に加え、家賃滞納者の対処法や手続きの流れなど、実例を交えて賃貸経営に直結する内容をお話いただきました。
このセミナーを通じて、「実は大家さんの頼れる味方!」という観点から改めて、司法書士という専門家を北海道大家塾の会員に知っていただく機会となりました。
また今回はミニセミナーとして、税理士法人エンカレッジ 中田事務所の中田浩貴氏を講師にお招きし、令和4年1月1日から施行された「電子帳簿保存法改正」についてお話いただいた後、サポートパートナーブースもお願いしました。
そして、今回のメインゲストには「千歳のトランプ」こと有限会社なごみ地所 代表取締役 竹原 正年 氏にご登壇いただき、「ドン・竹原流 不動産経営術~ファッション業界から、50歳での不動産業界への転身!!」と題して、50歳でファッション業界から不動産業界へ転身されたという異色のご経歴をはじめ、リーマンショックがきっかけで独立、今ではJ-REC北海道支部の講師となり、また賃貸オーナーとして63戸を所有するほか、建築中の新築物件も2棟(12戸)あるという、現在の成功までのご経験と歩みをもとにした『竹原流不動産経営術』を「金融機関との付き合い方」や「収益物件の運営方法」「不動産投資を成功するには」といった具体的な経営ノウハウまで語っていただきました。
サポートパートナーの企業紹介は、不動産管理をメインに、差別化したリフォームから周辺マップやポップ作りなどきめ細かい所まで、物件の募募や空室対策を提案・サポートする満室プロジェクト株式会社さんに会場で紹介PRをしていただきました。
今回もブースの横にはサポートパートナー企業のチラシやノベルティ等を並べて、来場者の方に自由にチラシを見ていただいたり、お持ち帰り出来るようにしました。
【メインゲスト】
講師紹介
竹原 正年(Takehara Masatoshi)
有限会社なごみ地所 代表取締役
○ 有限会社なごみ地所
昭和35年10月生まれ。
22歳から35歳まで東京のファッションメーカーにて勤務する。
平成7年に勤務していた会社とFC契約をし、札幌市で洋服販売店を営む。
その後、札幌市の道路拡幅事業の為、立退きを求められ、それを機に不動産業へと業種転換を図り、平成22年 有限会社なごみ地所を立上げ、現在に至る。
不動産会社設立後は、個人所有でアパート3棟20室、法人所有でアパート7棟40室、戸建3棟を運営する。また、現在12月完成に向けて、法人1棟6室、個人で1棟6室を建設中。
【保有資格】
- J-REC公認不動産コンサルタント
- J-REC公認相続コンサルタント
- 宅地建物取引士
『千歳のトランプ!ドン・竹原流 不動産経営術
~ファッション業界から、50歳での不動産業界への転身!! 』
「不動産投資で成功するには、まず失敗しましょう。そして克服しましょう。何度も失敗しましょう。くじけない。絶対、成功します!」
ファッション業界から、50歳での不動産業界への転身されたという異色のご経歴から、リーマンショックがきっかけでの独立を経て、今ではJ-REC北海道支部の講師とともに不動産売買の事業を行い、また賃貸オーナーとしては12棟72戸、戸建て3棟を所有に至った『ドン・竹原流不動産経営術』。
今回のセミナーでは「金融機関との付き合い方」や「収益物件の運営方法」、「不動産投資を成功するには」といった具体的な経営ノウハウとともに、これまでの歩みやさまざまな経験を経て確立された竹原さん自身の経営哲学も語っていただきました。
■ファッション時代
ー 東京でのサラリーマン生活から、札幌での独立・開業、そして閉店
もともと野球少年だった竹原さん。ファッションに目覚めたのはVANジャケットの人気が復活した、1980年代の第二次アイビーファッションブームに感化されたことがきっかけでした。
当時は、ボートハウス・ビームス・シップス・クルーズといったブランドが人気を呼び、ボートハウスのショップ名が入ったトレーナーが450名の行列が出来る時代の流行に感激した竹原さんは、自らボートハウスを運営する企業へ売り込みに行き、門前払いされても何度も掛け合い続けた結果、23歳で入社。
ファッション業界へと飛び込んでいきます。
25才で憧れだったボートハウスの2代目店長に就任。
「キャプテン サンタ」というブランドが一世を風靡し、竹原さん自身も「行列から生まれた店長」として、ファッション専門誌でも紹介されるほどとなりました。
またショップの店長として、
・北海道から九州まで全国から足を運ぶお客様に接客できたおかげで、地域ごと、特に北海道から来たお客様の買い物の特徴がつかめた
・一日で何百万という売上が出来て税務署の査察が入ってくるまでとなったため、莫大な売上金額の管理を学んだ
・青山にショップがあったため苦労して身につけたディスプレイの勉強が今の賃貸物件の内装を考えることにつながった
など、これらの経験は竹原さんの人生にとって「とてもプラスになった」と言います。
35歳で退社、勤務先とFC店契約を結び独立。
札幌の裏参道にお店をオープンします。
北海道のお客様も足を運んでくれるなど当初は飛ぶ鳥を起こす勢いだった中で、経営者として経営、特にお金の管理や従業員の雇用と福利厚生、そして「人間の表と裏」を学んだと言います。
その後、裏参道 道路拡幅事業のため竹原さんのお店は札幌市から立ち退きを求められる状況となりました。
大家さんとして皆さんに学んでほしいことですが、札幌市は何十年も前に都市計画でこの事業を決めて
いました。一方で、土地の売買において、この都市計画をチェックしない不動産会社がほとんどです。
市役所に行けば、すぐ分かることです。何か聞いたら、まず自分で確認しましょう。
私も当時は噂では聞いていましたが確認していませんでした。
ある時、札幌市市役所の担当者と市のコンサルタントがお店を訪れ、「店舗前の駐車場を道路を広げるために収容する」と告げられたそうです。
また、2002年から2003年以降になると、かつてのブームも去ってしまい来店客も減少、その結果、売上が大きくダウンしていました。
当時、商品の洋服はメーカーからの買取となるため、銀行の融資によって仕入れをしていた結果、利益が出てもメーカーへの支払いや返済が追い付かない黒字倒産の危機が訪れます。
その結果、全国のFC店経営者から自己破産者が続出し、悩みを相談する経営者仲間についついお金も貸してしまうも返済されることはなく、ほとんどが音信不通に。
そして店舗の大家さんからも「駐車場の収容」を理由に立ち退き要求。立ち退き額は家賃2か月分だけでした。
また、先に立ち退きを求めた札幌市からは微々たる条件だったため、交渉を開始。
交渉を重ねた結果、合意できる条件となり立ち退きを承諾。
竹原さんの店舗は2007年2月に閉店となりました。
また、この立ち退き交渉を経た経験から不動産の世界を垣間見たことで、
「もし今、宅建を受けたら受かるんじゃないか?」
と思ったことが不動産業界に興味を持ち始めたきっかけにもなったそうです。
■不動産業界への転身 ー 独立後の主な業務
お店を閉店当時、竹原さんは47歳の年齢になっていました。また、当時は小学生6年生の長男と保育園児の長女を抱える父親でもありました。
閉店した2007年4月、最初は前向きに就職活動を開始するものの、生まれて初めてのハローワークに足を運んだ時、会社役員だったため、失業保険が出ないことを初めて知り、「自分の馬鹿さ加減に落胆した」
と言います。
収入は奥様のパートに頼る以外にないまま、長男は中学校入学、長女は小学校入学。
就職活動を続けても面接まで至らず、「就職希望先を不動産業界へ絞り込もう」と考えました。
苦戦続きの就職活動でしたが半年後の2007年9月、地元の不動産会社へ就職が決まりました。
友人の義理の弟が経営する建築会社が別会社として立ち上げた不動産会社へ専任の宅建主任者として採用されるとともに、「不動産業と共に建築業(住宅建築)も勉強できる」と考え、建築業従業員として、市の入札にも参加。
この経験が、現在の事業において競売や公売を手掛けることにつながる勉強になったそうです。
また、「建築現場も知りたい」と大工の助手としても仕事を学びますが、足場から転落。運良くケガは無かったものの、助手としては失格に。
「でも、この経験のおかげで建築の勉強もすることができました」
その後2008年9月に起きたリーマンショックによって20年前から始めていた株式への投資が全て紙屑となりました。
その結果、「すっからかんになり、怖いものが無くなった」と50歳になる2010年を目標に独立を決意。
実務の経験を積んだことで、不動産への考え方など勤務先への疑問も感じ始め、長男は私立の高校、長女は私立の小学校4年生と進学し、学費も掛かるため結果的に「不動産業をやるしかなかった」と、目標通り2010年9月に有限会社なごみ地所を開業されました。
日本政策金融公庫から独立開業資金の融資を受け、独立。
建築業経験者と2人でスタート(後に退社)し、一軒家を借り、中古自動車でスタートするも中古車はすぐに故障し、廃車。その一方で仕事は全くない日々が続きました。
「でも今思い返すと、この仕事が無いことが僕にとって、すごく幸運だったんです」
と竹原さんは当時をふり返って力強く語ります。
「何もやることがないから、何をやろうか?と考えられた」
「今日は何をやって過ごそうか?どうやって、お客様にアプローチしようか?
土地やアパートはどうやったら売れるのか?と、いろんなことを一日中、考えることができました」
そして、独立後の業務からさまざまな経験を重ね、新たな学びを得ていかれました。
たとえば、
・大型商業ビルの売買案件 ※東北大震災によって、案件消滅
ー 売主は誰?買主は誰?と出来る限り情報を仕入れる大切さを知る
ー CA(守秘義務契約書)やNOI(純収益)を学ぶ
ー 手数料や複数の仲介業者がからむ場合は、宅建業者はいるのか?
ー 決済の時、相手方にどのように支払えばいいのか?も明確に事前確認。
・大型収益物件の仲介業務
ー バルク買いほど、きちんと調べる必要がある
ー 売買契約後は管理業務も経験(クレームの嵐!)
ー レントロールは確認の上で取得すること
ー 特に初めての売買は目の前にある物件以外、買わないこと
これらの経験から多くのことを学んだ結果、現在の家賃収入は個人所有、法人所有、戸建3棟を
ふくめて合計5,500万円以上となったそうです。
「ただし、返済比率は50%以下におさえてください。それ以上だと、手残りがなかなか残らない形に
なります」
そして収益物件を増やすうちに、いつしか身につけられた考え方もありました。
「僕は、よほど良い内容が来ない限り、持ち込みの話では受け付けません。
ただし、必ず年初めに『こういう物件が欲しい』『こういう新築を建てたい』と決めます」
「そして、どのぐらい資金がなければいけないか?
めぼしい土地はあるか?金融機関とはどうやって交渉するか?を年始に決め、新しい年に向かうことをとても重視してきました。もちろん良い話もありましたが、ほとんどは自分で判断し、自分で決めてきました」
こうした経験、知識、考え方の上で現在の竹原さんの不動産事業を築いた源こそが『ドン・竹原流 不動産経営術』です。
■ドン・竹原流 不動産経営術の極意
【金融機関との付き合い方】
「金融機関に好かれないとダメです。支店長に好かれ、担当者と仲良く会話のキャッチボールができるようになるのが、究極の理想です。融資の審査を上手くいかせるためにも大切なことだと思います」
・地元や市内の金融機関とは全てお付き合いしましょう。
そして、お付き合いを始めたころには、すべての支店長に顔を覚えてもらいましょう。
最低でも、収益物件の借入をしている金融機関は絶対です。
・借入の金融機関は、できるだけ窓口を利用します。
・用件を考えたうえで、〇か月に1回以上、担当者へ連絡しましょう
・クレジットカードの申込や家族の口座開設、定期預金など担当者のお願い事は必ず応えましょう
【融資の申し込み方】
・ひとつの案件は一つの金融機関へ絞る!
・資料の提出は、故意に一度で持参しない
・担当者では電話ではなく必ず訪問し、デスクで打ち合わせをする。
・特に金融機関の考え方を知るために、担当者の事業計画書を見せてもらうことは重要です。
【収益物件の運営方法】
・一大事業の認識を持ちましょう!金儲けの道具ではありません。
・空室時の損失を理解し、100%満室を目指すのが大切です!
・自分は「大家」という覚悟を持ちましょう!
・出来る限り自分の足で巡回し、入居者と会った時は「大家の〇〇です。何かご不満はありませんか?」と会話をしましょう。
・自主管理で「入居者のクレーム」対応は自分と業者の2人で訪問します。(業者を一人で行かせない)
・退去後の原状回復の費用負担に関しては「自分が借入人だとしたら」を常に考えましょう。
・退去後の部屋には美装以外に自分の目で確認し、何か手を加える
その他にも「賃貸仲介会社との付き合い方」や「アパート建築会社との付き合い方」、「不動産会社との付き合い方」まで一つ一つ、竹原さんの考えをていねいに説明していただきました。
最後に【不動産投資を成功するには】というテーマに関して、竹原さんはこんな自身の哲学を語っていただけました。
「とにかく勉強しましょう!情報収集が重要です。
インターネットや読書で収集、そして家主業は『投資』ではなく『事業』です。
自分の職業経験を『知恵』に変え、自分の哲学として経営に生かします」
「そして『目標』を設定するのではなく、1年後・5年後・10年後に『必ず達成すること』を決めます。
大切なのは『何を買うか』ではありません。『誰と、どんな人とつながるか』です!」
J-REC公認の1級・2級の講師でありながら、今なお2級講座も再受講し、忘れた知識を学び直しつつ
「受講者と同じ立場で学ぶことが自己啓発」と語る竹原さん。
その半生と不動産経営術のお話から学び続けることの大切さ、人と出会い、つながることの大切さ、を改めて実感する機会となりました。
塾長 原田の感想
メインゲストの竹原さんのセミナーは非常に反響が大きかったです。
竹原さんのチャレンジし続ける生き方が、多くの方の方に励みになったのではないでしょうか。
内容が濃くて書ききれませんが、私なりに感想を述べたいと思います。
竹原さんの人生は波乱万丈でした。
思い立ったら飛び込む行動力によって東京のボートハウスの店長にまで上り詰めブイブイ言わせていました。
その後札幌に凱旋し、裏参道でキャプテンサンタのショップをFCで経営し大繁盛しましたが、ブランドのブームが終わると売上が減少しました。 「アパレルでブームが終わる」事の厳しさのお話は非常に勉強になりました。
そして、47歳でお店を閉店し再出発。 就職活動を始めますがなかなか決まらず、やっと地元の不動産会社に就職したのが転機でした。 その後、持ち前の人間力と行動力で有限会社なごみ地所を開業したのが、2010年9月で50歳の時です。
参加者さんの中にも50歳付近の方はたくさんいたと思いますが、非常に勇気づけられたのではないでしょうか。
後半ではドン・竹原流 不動産経営の極意と題して竹原さんなりの極意をお話くださました。
もちろん竹原さんの人間力があってこその内容でしたが、この中で多くの学ぶところがあったのではないでしょうか。
特に最後のメッセージ
まず失敗する→必ず克服する!!
何度も!!くじけない!!
家主業は「投資」ではなく「事業」なり。
自分の職業経験を「知恵」に変え、自身の「哲学」として経営に生かすこと!
1年後・5年後・10年後の「目標」を設定するのではなく、1年後・5年後・10年後の
「必ず達成すること」を決める
これらのメッセージをもう一度振り返って成功していきたいですね!
開催記録
●日 時:2022年1月29日(土)
13:30-18:00
●参加人数: 122名(会場参加:46名、WEB参加:76名)
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