この動画について
第一部ではあのメガ大家として有名な極東船長の弟さんである有限会社アール代表取締役 石垣 力氏にご登壇いただき、今もなお経営者として6事業を展開する石垣さんに、多角的な事業展開を経験しているからこそ見えた『不動産事業の優位性』について自らの経験や、師でもあるお兄様から学んだことをお話いただきました。
第70回北海道大家塾は、札幌駅最寄りの北農健保会館に会場を設け、コロナ感染拡大防止対策を行なった会場セミナーには50名、You Tube ライブ(限定公開)の同時配信によるWEBセミナーには65名の計115名が参加の中で開催されました。
第一部ではあのメガ大家として有名な極東船長の弟さんである有限会社アール代表取締役 石垣 力氏にご登壇いただきました。今もなお経営者として6事業を展開する石垣さんに、多角的な事業展開を経験しているからこそ見えた『不動産事業の優位性』について自らの経験や、師でもあるお兄様から学んだことをお話いただきました。
第二部は毎年ご登壇いただいている株式会社リクルート販促領域プロダクトマネジメント室(住まい)の松本 龍二さんに『入居率の高いオーナーと低いオーナーは何が違う?』というテーマでお話いただきました。今年もコロナの影響で残念ながらZOOMでの登壇となってしまいましたが、今年2月に全国規模で独自調査を行った結果をもとに、「空室対策の意識と行動の実態」について具体的で興味深い調査結果を100ページ近い資料の提供とともに、分かりやすく説明をしていただきました。
サポートパートナーの企業紹介は、「人気NO1都市ガス物件なら北ガスにご相談ください。」の北海道ガス株式会社さん、「大家業専用の高還元率のアメックスプラチナカードがオススメ」の株式会社クレディセゾン北海道支社さんに会場で紹介PRをしていただきました。
また、株式会社クレディセゾン北海道支社さんにはサポートパートナーブースもお願いしました。
今回も、出入り口横にサポートパートナー企業のチラシを並べて、来場者の方に自由にチラシを見ていただいたり、お持ち帰り出来るようにしました。
【第一部】
講師紹介
石垣 力(Ishigaki Chikara)
有限会社アール 代表取締役
合同会社D&H 代表社員
○ 有限会社アール
1961年 北海道生まれ。
(兄は不動産投資家として有名な「極東船長」)
高校卒業後上京。
爆風スランプのメンバー等とバンドを始め、その後、少年隊・近藤真彦等ジャニーズ事務所専属のバックミュージシャン、⼀世風靡セピア事務所と契約し哀川翔等のアルバム制作も担当。
音楽活動引退後は、インテリア会社に勤めるも平成バブル崩壊で倒産。
北海道に戻りパソコン教室で起業。
その後、クレープ店・教育訓練校・学習塾・コインランドリー・ソーラー発電所と多角的に事業を展開。
2012年より中古アパートを購入し不動産事業に進出。
2019年には札幌に法人を新設し千歳に新築アパートを竣工。
現在はアパート11棟・区分2・戸建4・テナント1、計102部屋の物件を所有。
満室時家賃年収は約7000万円。また、経営者として6事業を展開する。
講師からのコメント
勤めていた会社の倒産から奮起して事業を興した⾃分ですが、結果を出すことは並大抵の努力ではなく、築き上げても今回のコロナのように世情によって⼀瞬で崩れます。
不動産賃貸業を始め経営安定した今、粘り強く指南してくれた兄には心から尊敬感謝しています。僕の愚鈍な体験を少しでも参考にして頂けましたら幸いです。
『極東船長の弟が語る「金持兄ちゃん・貧乏弟(おん)ちゃん」
~なぜ一生懸命頑張っても差が開いて行くのか?』
『俺は人の3倍は努力してきた。でも、どこに努力したら金持になれるか、ようやくわかってきた・・・』
石垣さんが「まず、一番お伝えしたいことを最初にお話したいと思います」と紹介されたのは、メガ大家「極東船長」として、または不動産情報サイト『健美家』の人気コラムニストとして有名なお兄さんの言葉でした。
若い頃はプロミュージシャンとして活躍された石垣さんがギターを手にし音楽の道へ進まれたのも、実は地元でバンド活動をしながらコンテストに優勝し、テレビ番組にも出演していたお兄さんの影響だったそうです。
その後、お兄さんは網元だった実家の稼業を継ぎ、24歳の頃にはサケ・マスといった北洋漁業やサンマ漁の漁労長として働くなど、船乗りの道へ、石垣さん自身は上京し、ミュージシャンとして音楽の道へ進まれました。
キャンディーズ・スーちゃんのバックミュージシャンでプロデビューを果たすと、少年隊、近藤真彦などアイドルのバックミュージシャンとしても活躍。全国ツアーやテレビ出演も経験されました。その後は一世風靡事務所と契約し、一世風靡セピアのレコーディングやツアー、哀川翔のアルバム制作、「夜のヒットスタジオ」などの 音楽番組へ出演などアーティストとして活躍される日々を送りました。
「楽しかったけど、とっても貧乏でした!!(笑)下北沢・4畳半一間で暮らしていました」
華やかな経歴をそう振り返る石垣さん。
やがて石垣さん兄弟には、ほぼ同時期に人生の一大転機が訪れました。
後に「金持ち兄ちゃん」の道を歩み始めるお兄さんは、1993年(平成5年) に海難事故に合い、自分の船を失ったことを契機に漁師を辞め、陸の仕事を始めたのです。
もともと北洋漁業で漁師を営むお兄さんは、ロシアとの外交上で成り立つ自分自身の仕事に対し、「ビジネスのルールを自分で決められないジレンマ」をずっと抱えていました。また、 高額な漁船も償却後には価値が無くなってしまう物だったため、「価値が減らないものは何か?」と、考え続けていたそうです。
海から陸へと仕事の舞台を移した直後は、一千万だった年収が数百万になるなど大幅な収入減に悩んだお兄さん。考え続けた結果、37歳となった1995年(平成7年)に「将来の子供達の大学費用を捻出するため」と札幌で不動産投資を始めました。
そのお兄さんが購入した1棟目は、築5年・1DKが8戸という札幌市内の中古アパート。
「儲からないけど、娘の為に不動産を買う。辛抱していればやがてローンは終わる。15年後に土地だけでも残れば・・・・」そう語った当時のお兄さんの言葉を、石垣さんは覚えていると言います。
一方、弟である石垣さん自身もまた、プロミュージシャン引退後に就職したインテリアの会社がバブル崩壊で倒産。これまでのキャリアから、なかなか次の仕事が見つからない日々を送っていました。そこで「仕事が無いなら独立を!」と起業。
「まず自分に何ができるか?ではなく、これから何が広がるか?から考える」と発想を転換し、ウィンドウズ95の発売に沸く当時の世相から「初心者相手のパソコン教室なら、同じ初心者の自分でも出来るのでは?」と思い立ち、初心者限定のパソコン教室を開業しました。
初めの2年間はなかなか生徒が集まらず、貯金を切り崩しながら経営する一方で生徒たちへ教える為に毎日必死でパソコンを勉強し続けたそうです。そのため、正月以外は自宅にも帰れないほどの忙しさでしたが、2001年(平成13年)にはパソコン教室を法人化し、有限会社アールを設立。
やがて事業は軌道に乗り、2003年(平成15年)には新築の建物へ教室を移転。カフェレストランのような洒落たレンガ造りの壁がある建物で開いたパソコン教室は、毎日予約の希望を断り続けるほど、朝から晩まで満席続きとなりました。
一方、不動産業界で事業をするお兄さんの方は年々、新築アパートの建築や築古物件の購入など、不動産投資の事業を拡大していました。
「なんとなく、大変そうだなあ・・・」
パソコン教室ではスタッフも雇用し、毎月パーティーを開く楽しい日々を送っていた当時の石垣さんにとって、大家業と不動産投資に専念するお兄さんの姿を見ても、この時はまだ不動産事業への関心はほぼありませんでした。
そして「この頃までは兄とそんなに差が開いていなかった」と語ります。
では、なぜお兄さんは「金持ち兄ちゃん」となったのか?
石垣さん自身は、予想もしていなかった「貧乏弟ちゃん」の道を歩んでしまったのか?
経営者としてお兄さんと過去の自分の違いを、石垣さんはこんなエピソードから語り始めました。
1997年(平成9年)に発刊され、ベストセラーとなったロバートキヨサキの著作『金持ち父さん貧乏父さん』。
「この本を読むと、株式投資がしたくなるね!」
石垣さんはこの本を初めて読んだ時、お兄さんにそう感想を伝えたそうです。
するとお兄さんから、こんな返答が返ってきました。
「キヨサキは、そんな事 言ってないぞ。彼はビジネスのシステムを作る大切さを語っているんだ」
同じ本を兄は全く違う視点で読んでいた!
その言葉に感動した石垣さんは、「兄は、どんな凄いビジネスを考えているんだろう!?」と思ったそうですが、「アパート経営を考えている」というお兄さんの言葉に、内心がっかりしたとか。
「昔の長屋の大家さんみたいなことをやるの???」
最初お兄さんの考えている不動産投資を聞いた時も石垣さんはそんな風に思ってしまったそうです。
しかし、順調だった石垣さんのパソコン教室にも時代の逆風が吹き始めました。
北海道庁が「道の事業」として無料のパソコン教室を、道内各地で頻繁に開催するようになったためです。生徒数の激減に頭を抱える中、お兄さんからこんな助言を受けました。
「アパートを買わないか?ビジネスとして見ろよ。 年間200万の収益が出るぞ」
勧められるがままにお兄さんと築古物件のアパートを見に行くものの、当時は「なんだ?このボロアパート・・・」としか思えず、せっかくの好物件を断ってしまいました。
そして、2008年にリーマンショックが到来。
世の中が大不況へと向かう中、お兄さんは「最大のチャンスがやって来た・・・」と、より不動産投資と賃貸経営へ専念。一方で、石垣さん自身は事業の多角化へ乗り出す経営へと舵を切りました。
・クレープ店をオープン。初日から行列が!
(体重が1か月で7キロ減になるほどの忙しさ!!)
・大量失業者時代を懸念した国の教育訓練事業にも参入!
・パソコン教室のほか、介護事業にも進出!
・売上規模が1億円に拡大!
と当初は快進撃が続き、いつしか不動産投資を勧めるお兄さんの助言にも耳を傾けなくなりましたが、その後、社会情勢の変化とともに
・パソコン教室は生徒数の減少が止まらない!
→パソコンからスマートフォンへ時代のトレンドが移行
・クレープ店はオープン景気終了後に売上減ー利益率も想定を大幅に下回る低さ
・教育訓練校の国の締め付けによる売上大幅減!
→アベノミクスで大失業時代から求人倍率が激増へ
と経営環境が一変。
やがて兄弟で会うたびに「いかに赤字を減らすか?」を語る自分に対し、「いかに税金を減らすか?」を語る兄と考えている中身にも違いが生まれ、「同じ経営者なのに、住んでいる世界が違うぞ??」と気がついたそうです。
そこでお兄さんが語ったのが、
『俺は人の3倍も努力してきた。
でも、どこに努力したら金持になれるかようやくわかってきた・・・』
という言葉でした。
もともと身体が弱いにも関わらず海の荒くれ者だった漁師たちを束ね、陸の仕事でも苦労してきたお兄さん。不動産投資を始めてからも仕事を終えた金曜に深夜バスで札幌へ向かい、物件を探しまわって根室に戻る日々を送っていた姿は、当時の石垣さんも知っていました。
「兄の成功を見習い、不動産事業に参画しよう!」
「慢心していた心を入れ替え、兄に頭を下げよう! 不動産投資で成功を目指そう!」
そして、2012年、51歳の時に始めて中古アパートを購入。
築10年・1LDKが12部屋と平屋2LDKが2部屋 のこの物件は、今も満室でクレームも無く、月40万円ほどの収益があります。
一方で・・・
・勝負に打って出た学習塾事業は1年間で1千万円の大赤字!
・7年後を見据えて計画したコインランドリー事業は初年度 200万のキャッシュアウト!!
と不動産以外の事業では苦難の連続となり、「小規模事業を黒字にして役員報酬を確保し、不動産で得た利益は、そのまま次の不動産投資に向けるという兄のアドバイスどおりにすべきだった…」と、会社の経営をいつの間にか不動産事業が支えていることに気づいたそうです。」
その後もメガ大家「極東船長」として業界の有名人となったお兄さんの教えのもと、不動産投資と賃貸経営の経験も重ねていきましたが、『いい物件が見つからない』『融資も厳しい』という停滞期を迎えていた頃、
「俺の弟子でお前ほど成功していない奴はいない!!」
と家族で行った温泉で、一緒に湯船に浸かっていたお兄さんから突如カミナリを落とされ、喝が入るとともに言われた、ある助言が今の成功を築く礎となりました。
そのお兄さんの喝と助言に従い、改めて不動産事業へ専念していった石垣さん。
セミナーの後半では、実際に購入した物件の実例を交えつつ、計102部屋の物件を所有、満室時の家賃年収は約7000万円の大家となった今の自分に至るまでの歩みと学び得た経験や知識を詳しく語っていただきました。
『人間は、どれほど努力をしても限界があります。私は一生懸命努力をしても、頑張れば頑張るほど苦しくなっていく道を歩んで来ました。
どこに努力するか?によって、結果が大きく 変わってくる事を兄から教えてもらいました。いつも自分が頑張らなければ、お金が入らないという状況になることは危険です。
人間はいつまでも全速力で頑張る事は出来ないからです。
だから、未来の自分の為に「今」精一杯の努力をする!
その努力が無駄になってしまうのか?、実りあるものになっていくのか?それは、努力する「方向性」によって大きく変わります』
最後に、冒頭で語ったお兄さんの言葉と自分自身の経験を重ね、参加者にそんなメッセージを伝えた石垣さん。
セミナーのテーマにもあった「なぜ一生懸命頑張っても差が開いて行くのか?」という答えにもなる、この石垣さんのメッセージは、北海道大家塾の理念にもある「学びと実践」が経営者にとって、なぜ大切なのか?を改めて理解するうえでも貴重な学びとなりました。
塾長 原田の感想
石垣力さんのセミナーは、素晴らしかったですね。
とくに石垣さんの深い人生経験からくる苦労話と兄からの名言が心に入りました。
兄である極東船長の言葉に「俺は人の3倍は努力してきた。でも、どこに努力したら金持になれるかようやくわかってきた・・・」という言葉がありました。
力さんも「人の3倍は努力してきた」と言っていました。
しかし、その努力も方向性を間違えると実らないんだと感じました。
パソコン教室、コインランドリー、クレープ屋さんなど多方面に事業を仕掛けながらも、不動産投資が一番安定し広げられたという言葉には実感が籠っていました。
しかし、不動産をやるにも「種銭」が必要です。
それをカバーするのに力さんは、事業の他に築古物件の再生を行っていましたね。
釧路であるからこそ、成り立つビジネスなのかな~と思ったりしました。
帯広の方も釧路まで言って築古物件を購入しているそうです。
そう考えると札幌圏では同じことができる様なエリアはどこでしょうか?
私が考えるに、小樽・苫小牧西部・岩見沢・江別東部なのかな~と思いました。
こういった築古物件の再生にはチームが必要です。
その中でもリフォーム業者さんが欠かせません。
皆さんも少しづつ経験を積み重ねて、良いチームを作り上げていきましょう。
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